宇良田唯(タダ)
《 宇良田唯の概要 》
宇良田 唯(うらた ただ)は、明治時代に日本人女性で初めて
ドイツで医学博士の学位「ドクトル・メディツィーネ」を
授与された熊本県天草市牛深町出身の医師です。
宇良田唯の生涯 唯さんてどんな人? 宇良田唯の年譜
唯の生涯

唯は現在の熊本県天草市牛深町船津に7代目大銀主の父宇良田玄彰・母キシの二女として誕生しました。 年頃になったタダは、同郷の富豪である「塩屋」の若主人との良縁談がありましたが、 「私はよそに出て、勉強がしたい」と出奔し、勉学に励みました。
宇良田唯の生家跡

生家跡に残る「萬屋」の蔵

宇良田唯

唯は熊本市内の吉田毒消丸本舗に下宿をしながら、 私立熊本薬学校(現在の熊本大学薬学部)で学び、まずは薬剤師になります。 薬剤師となった唯は、父と新町に薬局を開きますが、医師を目指すため2年も たたずに店を閉めてしまいます。 その後、東京の済生学舎医学校に入学し、通常3年かかるところを猛勉強した末、 1年半で学問を修め、医師になりました。学生時代、唯は布団を縦半分に折り、 そこで寝ていたそうです。当然、寝返りを打てば畳に転がって目が覚め、 転がり起きては勉学に励んだといいます。
宇良田唯

下宿先の吉田松花堂
所蔵の唯の写真と手紙
(出典:クロスくまもと)

宇良田唯
医師となった唯は、私立伝染病研究所(後の北里研究所)にて、 北里柴三郎、浜田玄達に師事。 (同校出身の野口英世も北里柴三郎に師事。)その後、牛深で2年ほど開業しますが、 ドイツ留学のため再び上京しました。
宇良田唯

官立伝染病研究所の同僚と
(出典:宇良田 心)

宇良田唯
唯が留学を目指したきっかけは、 牛深に多かった眼病の存在が大きかったといいます。 そして、ドイツのマールブルク大学に留学し、 在学時に眼科論文「いわゆるクレーデ点眼液の効果に関する実験的研究」 で医学博士学位「ドクトル・メディツィーネ」を授与されました。 帰国後、牛深にて開業しました。帰国の際に牛深の人たちは唯を船団で出迎えました。
宇良田唯

唯ドイツ留学へ
(出典:吉川 茂文)

宇良田唯
その後、東京の学習院女子部からの熱烈なオファーがあり上京し、 神田連雀町にて「宇良田眼科医院」を営む傍ら、教師として働きました。 帰国から5年後、北里夫妻の媒酌により、中村常三郎(島原出身の北里研究所薬剤師)と結婚。
宇良田唯

唯と夫中村常三郎
(出典:吉川 茂文)

宇良田唯
恩師である北里柴三郎先生の助言をうけて夫婦で中国の天津に向かい、 総合病院「同仁病院」を創設し、25年間営みました。 鉄筋コンクリート、3階建て、入院部屋15室の病院で、 1階では夫の常三郎が薬局と印刷所を経営していました。 眼科・産婦人科・内科・小児科も診察し、 英語とドイツ語、新たに学んだ中国語を使って診療にあたりました。 病院での患者に対しては、国籍や貧富の差に関係なく平等に接し、 往診料を払えなかった患者さんには布団の下にそっとお金を置く事もあったと言われています。 そのため、中村夫妻は極めて質素な生活を送ったそうです。
宇良田唯

中国・天津で「同仁病院」創設
(出典:宇良田 心)

夫である常三郎が病死した翌年、中国から帰国し、 牛深で眼科・産婦人科医院を開きますが、再度上京し池上洗足町にて「中村眼科医院」を開業。 東京にて永眠・享年63歳。分骨は牛深小学校近くの山頂に父玄彰とともに眠っています。 生涯を医療に捧げた人物です。
宇良田唯

東京「中村眼科医院」前
(出典:宇良田 心)

唯さんてどんな人?
唯さんてどんな人?
年譜
明治6年 1歳  5月3日 天草郡牛深村船津に誕生
13年 7歳  潮東小学校(牛深小学校の前身)入学
25年 19歳  熊本薬学校(後の熊本大学薬学部)卒業・薬剤師となる
29年 23歳  東京の私立医学校 済生学舎入学
31年 25歳  医術開業試験に合格し、医者となる
     私立伝染病研究所(後の北里研究所)にて、北里柴三郎に師事
     浜田玄達(日本の産婦人科学界の始祖)にも師事
32年 26歳  医籍登録 後に約2年近く牛深で開業
35年    「帝国独逸学会特別会員」となる
36年 29歳  1月10日ドイツ留学のため横浜から出発
     6月1日父玄彰逝去(享年63)・翌年日露戦争勃発
38年 31歳  ドイツのマールブルク大学で
     医学博士学位「ドクトル・メディツィーネ」授与
     論文「いわゆるクレーデ点眼液の効果に関する実験的研究」
     帰国後、牛深にて開業
     東京神田連雀町にて「宇良田眼科医院」を開業
40年 33歳  島原出身の北里研究所薬剤師 中村常三郎と結婚。
     夫と中国大陸に渡り、天津に総合病院「同仁病院」開業
昭和7年 59歳  夫 常三郎逝去
8年 60歳  帰国して牛深の生家近くにて眼科・産婦人科医院を開く
9年 61歳  再度上京し池上洗足町にて「中村眼科医院」を開業
11年 63歳  6月18日 肝臓ガンのため東京にて永眠・享年63歳
     分骨は牛深小学校近くの山頂に父玄彰とともに眠る
     

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